本当に波乱万丈な人生だったのですね。
意外な落とし穴があったようです。
幼少期のカエサルはローマが戦乱に明け暮れる日々の中で育つ。まず子供の頃には同盟市戦争が起こり、思春期を通じてポントス王国のミトリダテス6世がローマを脅かしていた。またローマ内でも政治的に不安定な時期でもあり、当時ローマでは元老院を中心とする寡頭政治を支持する門閥派(オプティマテス)、民衆を基盤とする市民会の選挙政治を中心とする民衆派(ポプラレス)の2つの政治理念が政治を動かしていた。民衆派の中心人物はガイウス・マリウス、一方で門閥派の中心人物はマリウスのかつての部下であったルキウス・コルネリウス・スッラ、カエサルの叔母ユリアはマリウスに嫁いでいたため、カエサルも幼少の頃より民衆派と目されていた。
ミトリダテスの討伐の権限を巡ってこの両者が対立、結局スッラがポントスへ赴く事になった。しかしスッラの遠征中にマリウスにもまたミトリダテス討伐の任が与えられ、これに激怒したスッラは軍を率いてローマヘ、老年のマリウスはローマから逃げのびる。そしてスッラが元老院に念を押して再び遠征に出かけると今度は流浪の恥辱を晴らさんとするマリウスが再びローマを制圧、ルキウス・コルネリウス・キンナと手を結びスッラを「国家の敵」と弾劾、そしてマリウス派がスッラの支持者を粛清する。その直後の紀元前86年にマリウスは没した。そして翌年カエサルの父が死去、齢16にしてカエサルはカエサル家の家長となってしまった。
この後次項で述べるスッラの粛清までの陰惨な時期に思春期の多感な年頃を送ったことが、カエサルの心に大きな影響を与えたことは間違いないであろう。後年独裁権力を握ってからも「寛容(クレメンティア)」を旨とし、敵対者でも降伏すれば許して公的地位を保証したこともその表れと思われる。
紀元前84年、カエサルはユピテル神の高位の神官職を務める。しかし、この職務はパトリキのみに開放されており、また前提としてパトリキと結婚する者が条件であったので、カエサルは婚約していた騎士階級の娘と別れる事となった。そしてコルネリウス氏族であるキンナの娘であるコルネリア(Cornelia)と結婚する。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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